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2006年9月11日 (月)

「耳をすませば」とニヒリズム

 一昨日昨日に続いて「耳すま」の話です。今回でひとまず区切りにする予定です。

 「ウェブ進化論」でいうところの「チープ革命」が進んでいるいま、様々な情報、玉石混交の情報が、ダイレクトに手に入ります。それは同時に、見たくもない知りたくもない情報が嫌でも目の前に突きつけられることでもあります。情報に振り回されないことが重要な時代です。
 いきなり何を言うのかと思われるかもしれません。僕はたまたま一昨日に「耳をすませば」というアニメーション映画を観て、その感想を書きました。その後、僕はこの作品について他の人はどう思っているのか知りたくなり、ネットでいろいろと検索しました。
 すると、中にこんなような趣旨の情報がありました。「耳をすませば」は凶器だ、みたいな…。詳しくはここには書きませんが、要旨はこうです。あの作品は舞台が現代で実際の街をモデルにしているためとてもリアリティがあるが、それがかえって、現実の自分と主人公たちとの違いを意識させ、とても暗い気持ちにさせる、というのです。
 また、今年の3月にTV放送されたらしいのですが、そのときには某有名掲示板において、独身成人男性を中心とした人たちによる一斉書き込み(祭りというらしいです)があったとか…。

 まあ気持ちはわからないではないです。僕もこの歳で独身だしうつだし…。マイナスの要素を挙げようと思えばいくらでも出てきます。
 でも、僕はこの作品を観て、前述のような心境にはなりませんでした。僕は本当に主人公の月島雫(つきしましずく)に感情移入して、最後にはとても暖かな感動につつまれました。

 この違いはなんだろうな。僕は考えたのです。
 幸せの尺度とか人生観とか、そんな部分なのかな、と思いました。
 ちょっとネタバレになりますが(これくらいはいいでしょう)主人公の月島雫は、天沢聖司(あまさわせいじ)と出会うことをきっかけとして、恋に恋し、日々を漠然と過ごす子供から、恋を知り、目標を発見し、だからこそ悩む大人へと、一歩を踏み出します。
 天沢聖司は中学生でありながらバイオリン職人という目標を見つけ、それに向けてまい進しています。雫はこの聖司を見て「自分と同い年なのに」と自分が何の目標も持たずに漠然と過ごしていることに焦りを感じます。しかし、聖司や親友の夕子の言葉などから、自分の中に「やってみたいこと」があることに気づきます。
 そしてこの物語は雫と聖司がある約束と決意をする場面で終わるのです。

 僕がこの主人公たちと同じ歳(中学3年:15歳)の頃はどうだったかを考えると、明確な目標なんてなかったし、きれいなドラマになるようなことも、たぶんなかったです。良い記憶よりも悪い記憶の方が多いです。現実を見て、実際に中学3年の時点で聖司のような志を持っている人は、確かに少ないかもしれないです…。
 でもだからといって、この物語を非現実的だとは思えないのです。不思議ですよね…。

 僕はこう考えています。
 架空の人物ですが、天沢聖司が夢に見たバイオリン職人。彼がたとえば10年後、25歳の時点で、まだこの夢を持っているか。もしくは実現させているか…。そのことと、彼が15歳の時点で決意した夢。それとこれとはまったく「別の話」なのです。
 子供の頃に夢見たことが実現されなければ人は不幸でしょうか? 子供の頃に特定の夢を持たないことは不幸ですか?
 僕は違うと思うのです。
 人生はゼロか100かではありません。
 人は常に変わり行く存在です。移ろい行くものです。それはときにあきらめと呼ばれ、ときに成長と呼ばれます。まったく何も知らない存在から、人と関わり社会に接することで、いろいろなことを学び、そして変わって行きます。
 この映画の終盤で主人公はある老人から言われます。「雫さんの切り出したばかりの原石をしっかり見せてもらいました。(中略)慌てることはない。時間をかけてしっかり磨いてください」
 僕はここでいう原石はすべての人の中にあるし、そして磨きはじめるのに早いも遅いもないと思うのです。そしてまた、原石はひとつとは限らないのです。

 自分を含めたすべてのことに対して、虚無的(ニヒリズム)な見方をしたくなるときはあります。ましていまの社会は、人をニヒルな世界に誘う誘惑でいっぱいです。僕にとってこの映画は、自分の中にある原石を刺激し、ニヒリズムを打ち消してくれる、心のサプリメントのような存在なのかもしれないです。

 前述しましたが、この映画は二人がある決意と約束をする場面で終わります。その約束の内容も、ニヒルな見方をすると「ありえない」ということになるのですが、僕はそう思いません。二人は世間を何も知らない中学生なのです。そんな純粋な二人だからこそできる「約束」…
 僕にはそう思えてなりません。

 三回連続で「耳をすませば」について書かせていただきました。最後に一ファンとして、若くして急逝された近藤喜文監督、そして原作者の柊あおいさん、さらにこの作品を生み出してくれたすべての方々に敬意を表したいと思います。ありがとうございました。

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コメント

DVD借りてきて観ようかしら
けいさんにとっては宝物の作品、価値観はひとそれぞれ。
宝物にしたい作品に出会えたことを大切にしてくださいね。
…私にとってそういう作品ってあるかなぁ…

投稿: とまと | 2006年9月11日 (月) 20時30分

一昨日の感想文で「ジブリで泣いたのは初めてかも」と書きましたが、よくよく思うとけっこう泣いてるなぁ…。割と泣くときはすぐ泣くやつでした。もちろんおそらく「耳をすませば」が一番の大泣き作品ですが…。
…って携帯から自己レスでした。

投稿: あゆざかけい | 2006年9月11日 (月) 20時33分

とまとさん いらっさーい(^o^)/

まあこういうのは気分ですから…。僕は無理にすすめたりはしません。
気が向いたときに観てみてください。

でもいいと思える作品との出会いは素敵ですね…。だって「これが好き」ということ、それ自体が自己表現になりますから…。

またのおこしをお待ちしております。

投稿: あゆざかけい | 2006年9月11日 (月) 20時43分

私のブログにコメントありがとうございました。
今日は私がおじゃまさせてもらいます。
この映画は、思春期の甘酸っぱく、今思えば青臭い要素がたくさん詰まっています。それを大の男(私は30代半ばの男)が絶賛するのは女々しく気持ち悪く映るかも知れませんが、あういう年ごろにある一つのことへ没頭した経験は、後に必ずその人の糧になると思います。

実は、私は聖蹟桜ヶ丘の近くに住んでいます。
勤務先が京王線沿線ということもあるのですが、この映画の影響を受けて、何となく坂の多い街に住みたくて、今のところに住んでいます。
それくらい、私に影響を与えた映画です。

投稿: zwch | 2006年9月12日 (火) 02時12分

zwchさん いらっしゃいませ。

そうですか。そこまでしたくなる気持ち、わかる気がします。本当に、ここまで心にしみる映画は、実写・アニメ問わず、なかったと思います。
ちなみに、僕も35歳のオジサンです。
またそちらにもお邪魔させてもらいます。
では。

投稿: あゆざかけい | 2006年9月12日 (火) 10時17分

「耳をすませば」ですか機会ありましたら必ず見たくなりました。ただ最近「これだ!」っていう映画にたどりつけないのが
少し残念ですが、、、貴重な情報ありがとうございました。

投稿: はじめ | 2006年9月12日 (火) 13時52分

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