映画感想18:ゲド戦記
●ゲド戦記
監督:宮崎吾朗
原作:アーシュラ・K.ル=グウィン
主演(声):岡田准一、手嶌葵、菅原文太
2006年 日本
(アニメーション作品)
いまはデジタル映像の時代。でもだからなおさらかな。手作りのセルアニメーションの良作に出会うとそれだけでうれしい。まあ実際にはそう見えてかなりデジタル画像技術は使われているのだろうけれど、少なくともそれを前面に押し出して欲しくは無い。そういった意味では、この作品も古きよき日本のアニメーション技術をちゃんと踏まえていると感じた。
スタジオジブリの最新作にして宮崎吾朗さん監督作品ということで、いろいろ注目されたようだな。少なくともアニメーション作品としての出来栄えはスタジオジブリ作品の名に恥じないものだと思う。劇場で観られてよかった。
作品を語るにはいろいろな視点があるが、アニメーション作品には「色調」がとても重要だ。これは原作によるところも大きいのだろうが、全体を通じた色調は、決して明るくはないが、とても深く思え、僕の好みには合致していた。その色調と、音楽で描かれる世界。これも奥深いものを感じた。そう。アニメでは音楽も重要だが、これは実にすばらしかった。
あとはその世界の中で生きるキャラクターである。おそらく主人公を含めたキャラクターを好きになれるか。それがこの映画の評価につながる。
僕はね。この作品は、そもそも従来のジブリ作品(特に宮崎駿さん監督作品)のように、主人公を含めたキャラクターの魅力でグイグイ引っ張る作品ではないのだと思う。それよりは美しい描写と音楽で世界の流れを淡々と描く。少なくとも目指したのはそういう作品であったのだろうと思う。
そういう作品は僕としては非常に好みだし、そしてその方向(だと僕が思っているだけだが)としては、一定レベルでは成功していると思う。惜しいのは、本当に惜しいのは、それが「突き通せていない」ところだ。
特に主人公アレンの言動に、そのジレンマが見える。声も台詞もいいのだが、シナリオでどうしても違和感がある点があった。たったの一点だけだ。ネタバレを少ししよう。
主人公アレンははじめからある罪業を背負う。これが重い。重すぎるのだ。
生意気を承知で言わせて貰う。創作作品ではよく「キャラが動く」と言う。それは事実だろう。生きたキャラは黙って動くのだ。僕が感じたままを言うなら、アレンはよくこの大罪を背負いながら動けたな。ということだ。観るものにはそこが最後まで引っかかりとして残ってしまう。
本当に大きなマイナス点を挙げるなら僕はその一点のみだよ。それが全体に重くのしかかるのであはるが……。
あとは瑣末なこと。悪役たちのキャラクターがいまひとつだった点。これは前述の通りの方向性の中では、作品全体への影響はあまりないだろう。
全体としては間違いなく良作と言っていい。劇場で観る価値はある。だからこそ、上記の点がとてもとてもとーっても残念。
クライマックスまでの主人公アレンとヒロインのテルーとの心の交流などは個人的には本当にツボだったのに……。
主題歌には「ウィンダリア」で心に残る新居昭乃さんが作詞作曲している。テルーの歌は作品世界にマッチしていて良い。
(視聴形態:劇場で)
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コメント
とうとう観たのですか。百人が観れば百通りの感想があっていいと思いますし、百人が全員いいと言うからいい作品であるとは限らないですよね。返ってそのような作品は、けれん味がなくて面白くないんでしょうね。ようは個人個人のツボにはまるかどうかですからね。
>美しい描写と音楽で世界の流れを淡々と描く。少なくても目指したのはそういう作品であるのだと思う。
たしかにそういう方向なのかも知れませんね。思えば「ナウシカ」も、異質な世界観を持った物語なのですが、その描写はとても美しかったと思います。少なくともぼくの観てきた実写・アニメ問わず多くの作品の中ではその点に関していえば恐らく最高の作品です。
宮崎作品は、主人公の声に、声優経験のない新人を起用するのが特徴ですが、宮崎駿監督に以前お聞きしたところ「描写とキャラのバランスを取りたいんですよ。キャラがあまり強く出過ぎて描写をダメにしてしまうこともあるし、逆もありますから。キャラと描写がうまくバランスを保てれば、観てくれる方もすんなり作品の世界へ移入していけるかなと思いまして。それに観てくれる方に”こうだ”と押し付けるのは失礼なのかなと思いましてね」と微笑んでいらっしゃいました。
今回の作品では、そのバランス感覚の微妙さがうまく保てなかったのかなと思います。やはり親の血は引いていても新人監督ですし、あの感覚は宮崎駿監督にしかだせないものですし。実写作品だと大林宣彦監督が割と宮崎駿監督と同じように、微妙なバランス感覚をお持ちですが、やはりどちらも他人に容易に真似ができるものではないですよね。だからこそブランドとして成功しているのだと思います。両監督の作品に関わってみて改めてそれを感じさせられました。どちらもオンリーワンでありながらナンバーワン。それを両立しているのがすごいなと思いましたね。オンリーワンだけでいいならそれほど難しいことではありませんし、ナンバーワンになればいいだけならそれは簡単なことです。でも2つを両立することってとても難しいことなんです。吾朗監督が今後どのような方向を目指されるのかはわかりませんが、父親があまりにも偉大すぎるというのも、ある意味彼にとっては悲劇なのかも知れません。でもここは親父と違うと唸らせるような作品をいつか生み出してくれればいいなと願うばかりですね。
長文乱文で失礼しました。
投稿: maline | 2006年11月 6日 (月) 17時21分
malineさん コメントありがとうございます。
>バランス感覚の微妙さがうまく保てなかったのかなと思います
そうですね。そういう感じがしますね。特に今回の作品では、例えば奴隷の描写とか、人間世界の醜悪な部分がわりとダイレクトに描かれていたので、なおさらバランスが難しいものになったのではないかと思います。
「ナウシカ」はそもそも宮崎駿さんが長く漫画形式で連載していました。(なぜか僕の手元には徳間書店の単行本があったりします) あの作品は原作が宮崎さんであると同時に、相当長い時間を使って熟成してはじめて出来上がったような作品だと思います。今回は原作が他にあり、さらに世界的に高名な作品ですから、製作方としては相当キツイものだったんじゃないかな、と思います。
投稿: あゆざかけい | 2006年11月 6日 (月) 18時02分