僕の場合:教育や学歴について思うこと
とある記事を読ませていただいて、自分なりに思うところがあったので書いてみます。人に押し付ける気はないので、特にリンクやトラックバックはしません。親になったこともない僕の考えですので、甘いと言われる方も居るかもしれません。そのときはどうかご容赦ください。
子を持つ親にとって、お子様の教育の問題はとても大事なことだと思います。悩む方も多いと思います。ご家庭の独特な雰囲気や、親戚の特質、そして自分の子供と同じ年頃の子供を持つ他の家庭の動き…などから、「自分の子供も(周りに負けないように)良い人間に育てなければ」とプレッシャーを感じることもあると思います。それは当然のことで、それだけ子供のことを考えているということだと思います。
でも、そういうときほど、深呼吸して、もう少し広く考えようとしてみて欲しいと、僕は思います。もしも、周りを気にするあまり、子供本人の気持ちや、親から感じ取っている子供のプレッシャーなどが見えなくなってしまうと、いろんなことが裏目に出てしまうと思うからです。子供は何も言わなくても、親からの期待を敏感に感じ取るものだと思います。子供は親とは違う独立した人格であり、決して親の成果物ではないことを、深呼吸して、思い出してください。
僕の場合は、ちょっとだけ特殊な家庭の事情があって、父親に育ててもらったようなものでした。父なりに思うところはあったと思いますが、決して頭ごなしに「勉強しなさい」とか「いい学校に入りなさい」とか、そういうことは言わない人でした。今思うと、そういう親の理解が、自分にとって、とても重要だったと思います。
僕は小学校5年生くらいのとき、自分から「塾に行かせてくれ」と希望しました。その甲斐があって、小学校の終わり頃には、学校の授業の内容はとても簡単にわかるようになりました。中学校でもそれは同じで、家でほとんど勉強しないにも関わらず、学年で300名くらい居るなかで常に30位以内くらいでした。親も成績が好ましいことを喜んでくれるので、高校受験もそれなりに頑張って、都立の進学校に進みました。
中学時代は成績が良かったほかに、陸上競技の成績もよく、学級委員などもやって、いわゆる「優等生」でした。それは自分にとっては、必ずしも楽しいことばかりではありませんでした。偏差値が高い学校に進めば「ばら色の高校生活が待っている」などと幻想を抱きました。
しかし実際には違いました。進んだ高校では、ひたすら大学入試を目指すだけの厳しい授業が待っていただけでした。僕らは世代的に人数も多く、受験競争が過熱していました。高校へは行きたくなくなりました。はっきり言って、進む学校を間違えたと思いました。
それでも僕は、自分の進路はそれなりに自分で選んだ、と思っています。だからこそ、自分なりの納得を得られるのだと思います。そして、そんな僕を見守ってくれた父の存在も大きかったです。もしも、どん底の高校時代に、親に自分を否定されるようなことがあったら、僕はどうなっていたかわかりません。
学歴や学力の問題はとてもナイーブで、答えもひとつではないと思います。でも、どんなときでも子供の気持ちを無視してはいけないと、それだけは思います。そして、どんな場合でも、最後には子供を受け入れてあげること。それがとても大切なことだと思うのです。
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コメント
わが子、葛藤中なり
演じているのを子の本当の姿、と見誤らないようにするのが親としての一番の課題だと自身の経験から思います。
一番辛い時に否定されるのはキツイですね、本当に。
投稿: いしし | 2007年1月29日 (月) 23時48分
うちの親は、社会として生きるのに間違った行動はとらないよう、躾けるとこはビシっとしつけるけど、頭っから否定したりはしない親でした。(まぁ、末っ子だから子育ても適当になっていたという気もしないでもないけど。でも、嘘ついたりしたりすると、真冬でも外に放り出されたりしたからなぁ。)
子供のいうことをちゃんと聞いてくれる良い親だったと思いますよ。
そういう親になりたいです。
(でも、娘が生まれると、きっとべたべに甘やかしちゃうと思う。だめ親候補です。)
投稿: くりにゃー | 2007年1月30日 (火) 11時25分