がんばったね
いままでも名目上はリーダーめいた肩書きからは微妙に外れていて、でもなんとなく「リーダークラス」の集まりには必ず顔を出してきた僕ですけれど、そろそろ自分を頂点としたチームをちゃんと作らないと、何かとやばそうな気配がしてきました。統合検索システムというサブシステムのチームというものです。
人のマネジメントは苦手なんですけれど…。
それでも割り切ってやるしかないかぁー、という気分にあります。「がんばれ」自分。うぐうぐ。
やはり大規模プロジェクトは運営が本当に大変です。10人のプロジェクトと100人のプロジェクトとでは、運営スタイルがまるで異なります。純粋にチーム運営のためにかかるオーバーヘッドがとても大きいのです。
ところで今日は、何かと気にかけていた後輩社員が、皆の前で今回の開発で導入予定のBIツールのデモをやってみせました。がんばっていたと思います。人に「がんばれ」という励ましはとても苦手ですけれど、実際に「がんばった」人には、「がんばったね」という言葉は言って良いのだろうと思います。
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コメント
いいことだと思いますよ。
がんばったことが正当に評価されない(他人からも自分自身からも)、てのがこの病気の最大のまずいところですから、その人のした結果を誉めると言う意味で「がんばったね」と声をかけるのはいいことだと思います。
その人にとっての自信回復に繋がって、抑うつ傾向から回復していくことが期待できると思います。
にしても、うつ病持ちにチーム運営やらせるのかぁ。酷な会社だなぁ。死なないでね。
(なんか、職場復帰のテンポがどう見ても急すぎるような気がして、またバーンアウトしてしまうのではないかと、本気で心配しています。なんとか95%の能力でこなしているけれど、120%の能力を要求されている気がして、このまま進んでいくと、ちょっとヤバめだな、と感じています。)
投稿: くりにゃー | 2007年6月14日 (木) 01時43分
憂は教師してた頃子供にめったに「がんばれ」は言いませんでした。「がんばれ」ってなんか遠くから言ってる感じがしませんか?それなら「一緒にがんばろう」とか、具体的に「こうしてごらん」とか言った方が実際言われた方も力を発揮できそうな気がします。
でも、「がんばったね」は自分が不安に思ったり、葛藤したりしていた事も含めて「ずっと見ててくれたんだ」って思える。褒められたうれしさだけじゃない、一人じゃないなっていう安心感も、言われた人は感じてるはず。・・・いい言葉ですよね。
投稿: 宇都宮憂 | 2007年6月14日 (木) 09時26分
「がんばったね」・・・心身共に気持ちの良い言葉ですね。
あゆざかさんも、大変がんばっておられるな・・と思いますよ!
でも、無理は禁物。マイペースで、でもベストを尽くせたらいいですね。
投稿: hiroko | 2007年6月14日 (木) 11時39分
お返事です。
>くりにゃーさん
いつもどうもです。
僕としては人からの自分への評価はかなりどうでも良いのですけれど、人がつぶれたり病んだりする様を見ることは嫌だなぁ、と思いながら、自分に出来ることをやっています。ちょっと暴走気味ですね。なんとかしなくては。(^^;)
>宇都宮憂さん
日本語は世界でも類を見ないほど豊かな語彙を持つ言語だと思っていますけれど、この「がんばれ」に代わる言葉がなかなかないですね。
>hirokoさん
マイペースというものがなかなか難しいなぁ、と最近感じております。大勢の人々が絡んでくると、いろいろとありますし。それでもおっしゃるとおり無理は禁物ですね。
皆様コメントありがとうございました。
投稿: あゆざかけい | 2007年6月16日 (土) 17時33分