一昨日と昨日。僕は会社の保険師の方からの助言に従い、外出の練習も兼ねて図書館へ行ってきた。徒歩で行ける範囲には図書館が二つあるが、どちらも徒歩で15分くらいかかる。歩くだけでも結構な運動になる。
図書館はわりと賑わっていた。特に新聞・雑誌のコーナーが人気があるようで、どちらかというと年配の主婦や定年退職後と見られる男性が多かった。
僕は久しぶりということもあり、また歩いた後で暑かったので、しばらく所在無げに書架をうろうろしていたが、結局、新聞・雑誌コーナーに座った。
たまたま目の前に「週刊エコノミストダイヤモンド(9.7訂正)」という経済誌が目に留まった。特集記事は「リストラ父さんとフリーター息子の悲惨世代」と表紙には銘打ってあった。
……。
「悲惨世代」
その週刊経済誌の記事によれば、定義はこうだ。まず現段階で25歳くらいから35歳くらいまでの、バブル崩壊後の「超就職氷河期」に新卒として社会に出た世代。また、その世代の親に当たる世代。この世代(50~60歳くらいか?)はいわゆる「リストラ」によって失職したり不本意な転職を余儀なくされた、とその記事では言っていた。細かいところは実際の記事が手元にないので、多少の間違いはご容赦されたい。
僕の記憶と認識が正しければ、バブル崩壊は1992年頃。そして世間で景気回復という言葉が言われだしたのは2003年頃だ。これも僕の記憶頼みなので多少の誤差はご容赦願いたい。
その週刊経済誌では、上記の世代を不遇な世代として書いている。実例として現在34歳(僕と同い年)の人が挙げられていた。世間では一流とされている有名大学を卒業したが、たった2年だけ先輩の人と自分とでは、就職活動の世界がまるで違っていたという。先輩が就職した時には大企業の方から自宅に電話までかかってきた。一方、自分の時は数十社に履歴書を送っても面接さえできない。そして不本意な企業に就職せざるを得ず、数年働いたが会社が倒産し職を失った。そのとき、すぐに「正社員」としての転職はせず、「アルバイト」や「契約社員」や「派遣社員」として職を転々とした。いまその人はとても後悔しているという。いざ「正社員」として就職をしようと思ったとき、企業はあまりにも「非正規社員」としての実績を評価しない。それを思い知ったからだ。
他にも、就職した企業が不満で辞めて「非正規社員」となった人や、新卒の時に満足できる就職先が見つからずはじめから「非正規社員」として歩んでいる人などが紹介されていた。
誌では、まず支払われる給料の格差を問題として取り上げていた。「正社員」と「非正規社員」(派遣社員・契約社員・パート・アルバイト)とでは、歳を重ねる毎に収入の格差が広がるという。実態として「非正規社員」の仕事は「正社員」とほとんど変わらないことも多い。それなのに処遇には倍近い差がある、としている。
先ほどの例の人の場合、たった2年先に社会に出た人は苦もせず正社員として今も働いている。それに比べ、この人は「非正規社員」としてではあるが相当の経験を積んできているのに、それがまったく評価されない。「この現実には単なる本人の努力や能力の問題では片付けられない不平等がある」というのである。
今回の記事が訴えていることはこうだ。企業は派遣・契約社員といった都合の良い雇用形態を活用することで経営状態を回復してきた。少子化・晩婚化問題の背景には「非正規社員」の増加と、その処遇・評価の低さがある。今後はますます「非正規社員」は増加するため、企業は「非正規社員」の経験も評価しそれに応じた処遇を行う必要がある、というのである。
さらにこうも言っていた。現状としては「35歳」を境に「非正規社員」の求人状況は一変する。若い世代は一般事務などのデスクワークも多いが、35歳を境にそういった求人はなくなるという。残っているのは概ね肉体労働であるらしい。
つまり前述したリストラされた親の世代も、不本意な職種と不遇にあえいでいるというのだ。
……。
上記の内容は、僕が図書館で記事を読んだ時の記憶のみで書いているので、実際の記事内容とは細かいところで違うかもしれないが、そこはご容赦願いたい。
……。
僕はいま34歳で、今年には35歳になる。この特集記事も、だから他人事とは思えなかった。ましてこの病だ。
僕は学歴としては「専門卒」で1993年入社組である。バブル崩壊直後だ。僕と同い年で「大学卒」の人は現役でも1994年入社組となる。今思えば、この一年の差は大きかったと思う。もし僕が大学に行っていたら、ひょっとすると今の会社に入ろうと思っても入れなかったかもしれないのだ。「学歴」では逆転するけれど…。そう考えると複雑な心境である。
(学歴については過去2003年6月22日の日記参照)
……。
この「悲惨世代」と呼び、その哀愁を誘う記事に対して、僕はまあまあ同意する。数値で表すと70パーセントくらいは同意だ。まず、採用する側の企業の姿勢に問題ありなのは疑いようがない。
では何故100パーセント同意ではないのか。
記事の内容で完全に欠落している、もしくは誤解を招く表現がある。「正社員」側の立場である。この記事を読むと、例に挙がっていた2年先輩でバブル期に大企業に入社した人は、あたかも、大企業でのうのうと楽をしているようなイメージになる。確かに、収入の面ではかなりの開きがあるかもしれない。だが、「正社員」として入った者も、この十数年、また違った苦労をしていると、僕は思うのだ。
企業が「正社員」を減らし「非正規社員」を増やしたことで、「正社員」側にも歪みが生じていると思う。すぐに思い浮かぶのは慢性的な「人手不足」である。「個人情報保護」「企業倫理」など様々な言葉で企業は「正社員」も追い詰めている。「正社員」でなくてはやってはいけない業務は増える一方で、IT化などを理由として、従来は10人でやっていた業務を5人に、3人に、減らしてきている。
確かにIT化などにより「作業効率」は高まったはずだ。しかし、だからといって単純に2倍や3倍の業務が、何の訓練もなくこなせるわけではない。どんな業務でも人間による審査なり承認なりが必要である。いくら作業効率を上げたところで、人間の頭脳まで高速化はできない。「IT化し作業効率を2倍にしたから半分の人手で足りる」という乱暴な計算は、大変に無理があるのである。
僕が実際に見聞きしたものでも、派遣社員が比較的単純な作業を行い、毎日定時で帰っている横で、正社員が毎日23時まで残業をしている、などということもあった。
……。
誤解のないように繰り返すが、僕は上記の記事内容について、まあまあ同意である。つまり基本的には賛同できる。だが、あまりにも視点が偏っていると思うだけだ。まあ、メディアとはそういうものかもしれないが…。
僕はそれを踏まえて思う。結局、「正社員」も含めてみんな「悲惨」だったのだ。
……。
僕の個人的な意見を言わせてもらうなら、理想は従来からの「年功序列」とし、企業は原則として従業員は全て「正社員」とすることである。
人件費を抑えたいなら、満遍なく薄く広く抑えるべきだ。この点については、労働組合の責任も大きい。労働組合は自分たちの権益を守るため、「ワークシェアリング」の考え方には消極的だ。だがそれではダメだ。いずれ社会がダメになる。いや、すでになっている…。
よく従来の「年功序列」と昨今流行の「成果主義」が対照的に扱われる。しかし、従来の「年功を重視した考え」の中でも、それなりに「成果主義」ではあったのだ。それは多くの人が誤解している気がする。昔だって、本当に能力に劣る者は閑職に追われ、優れた人物は重要な仕事を任された。その結果として充分に「成果主義」となっていた。重要な仕事をした者をより高く評価するからだ。
この考えは社会主義なのかもしれない。だが、それが昔の日本社会の良さだった。こう思うのは僕だけだろうか。
……雨の日だったが、今日は、ちょっと頑張って書きすぎたかな?
最近のコメント